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   幻蟲奇譚
 
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蚤の章…8


「今日、ミツさんにそろそろって言われた。それと関係ある?」
「なんだ夏雄、ミツさんに教えてもらってるじゃないか」
「教えてもらってないよ。何がそろそろか聞いたけど、ミツさんもじいちゃんも教えてくれなかったもん」
「…わが息子ながら、ここまで鈍いと…。いちいち具体的に言うようなことじゃない」
「なんか心配になってきたわ。あなたの愛書やDVDを夏雄に渡してやったら?」
「――お前…俺のアレ、」
「やだ、適当に言ったのに、本当に隠し持ってるの? お義母さん、聞きました? そういうの、まだ興味あるみたい、この人」
 
 笑顔を見せることが少ない堅物の父親が、どうしてだか真っ赤な顔で慌てている。
 和子か鬼の首をとったように祖母に言っているが、夏雄は父親の持っている本など全く興味がなかった。
 銀行員の父親が持っている本なんて、どうせ経済用語の沢山入った専門書に決ってる。
 そんなもの渡されても困るんだけど、と夏雄は思った。

「じいさんのせがれやから、印はなくともその点はちゃんと遺伝したのかもな〜」
 
 ほほほ、と祖母は楽しそうだ。

「じいちゃんも、そういうの興味あるんだ」 

 ミツに焼き餅を妬く姿は想像できても、小難しい経済書を眺めている姿は想像出来ない。

「男だからの〜」
 
 の祖父でも興味があるのかと思うと、全く興味がない自分がおかしいのかという気になる。
 そろそろって、そろそろそういう難しい本が読みたくなる、っていうことだったんだろうが?

「僕にはまだ早いからいいよ。父さんの愛書なんて、全く興味ないし。それに、僕の洗濯の話だったんじゃないの?」
 
 三人が再び顔を見合わせた。

「――あり得ないと思ったけど…ミツさんでも外すことも」
「99.9%があたる確率だとして、0.1%の外れが起ったのかもしれない」
「難しい数字は分からんが、ミツさんが外したとなると、天変地異の前触れかもしれん」

 三人が、揃って夏雄を見た。

「…なに? みんなして、そんな風に見ないでよ」
 
 息子や孫に向ける視線ではなかった。研究やら実験の対象を観察するような視線だ。

「今日は、みんなして変だよ。あっちでも変だったし、父さん達も変だし。僕のこと話してるのは分かるけど、僕だけ蚊帳の外って感じ。質問してもはぐらかされるし、…そういえば、」
 
 訊いてもいいのかな? と、一瞬ためらったが、もうこの際訊いてやれ〜と夏雄は先を続けた。

「…じいちゃんとミツさんのことだけど…あの二人の関係…どうして教えてくれなかったの? 今日、初めて聞いた…ちょっと驚いた」 

 三人の夏雄の見ていた計六つの目が、ぎょっと飛び出るぐらい大きく見開いた。

「みんな気持ち悪いよ。その顔やめて」
 
 どうして、父さん達が驚くのだろう? と夏雄には不思議だった。

「・・・まさか」
 
 母親の和子か口を開いた。

「・・・夏雄、今まで」
 
 父親の高雄が続けた。

「知らんかったのかい?」
 
 最後は祖母の凛だ。

「ずっと、友達だと思ってた」
 
 三人がガックリ肩を落とした。

「もういい。とにかく、明日から洗濯は自分ですること。この件に関して、質問はするな。時期自分でも分かる。では、赤飯をいただこう。頂きます」
 
 父親に話を終わりにされてしまった。

「頂きます」
 
 夏雄も箸をとる。
 話の内容も父親の強引さも、全てにおいて納得いかなかったが、そこでぶつぶつ反抗的な態度を取るようなことはしない。
 夏雄はそういう子だった。


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