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   幻蟲奇譚
 
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蚤の章…1


 著名なヨーロッパの建築家が設計を担当したというコンセプトマンションの裏に、昭和の哀愁漂うノスタルジックな趣、――といえば聞こえはいいが、実の所、古いだけの民家が一軒。
 庭には梅や桜、蘇鉄に松、金魚や鯉の代わりに鮒が泳ぐ池。
 この家の主の趣味の盆栽が、季節の草花の間を縫うように点在している。
 建物だけでなく、庭までもガーデニングという言葉とはほど遠い、昭和の趣だ。

「夏雄、暇ならあちらさんにじいさんお邪魔しとるから、これ届けて来てもらえないかね〜」
 
 縁側の古いサッシ越しの日差しが布団より心地良く、惰眠を貪っていた夏雄の耳に祖母が声が届く。

「あふ〜、あ〜〜〜〜」
 
 身体を起し両腕を伸ばしていると、祖母が風呂敷包みを持ってやってきた。

「これ、届けてやってくれんかね」
「いいけど、これなに?」
「おはぎ。お彼岸だからね。あちらさんにもお裾分け」
「僕の分もあったりする?」
「余分に詰めてるから、食べて来たらいい。あ、でも、ミツさんにはアンコのやつはあげたらいかんよ。ミツさんようには黄な粉入れてるから」
「分ってるって…。支度してくる」
 
 まだまだ風が冷たい季節。
 上着は邪魔くさいと、厚手のパーカーに着替え、赤い薄手のマフラーをササッと首に巻く。
 支度といっても僅か一分しか要しない。
 中学生になると、男子でもしゃれっ気を出して鏡に向かう時間が長い子もいるが、夏雄は違った。
 基本、面倒くさがりの性格で、彼女もいない夏雄には、服は服としての機能を果たしてくれれば良かった。
 
 買ってから一度も洗ってない元は白地、今は灰色のスニーカーに足を突っ込む。
 踵まで入れることは滅多にないが、今日は珍しく全体を靴の中に収めた。
 これから向かう先で、お小言を言われない為にだ。
 靴箱の上に置かれていた風呂敷包みを持ち、夏雄は『あちらさん』へと向かった。

「ごめんくださ〜い。夏雄です」
 
 夏雄の家も昭和の哀愁漂う古い家だが、訪問先の家もこれまた年代物だった。
 無線ではなく、配線の呼び出しブザーを押す。
 ドアフォンなど勿論ないので、ブザーと一緒に呼び名乗る。

『いらっしゃい、夏雄ちゃん』
 
 中から、ソソソという衣擦れの音と返事がし、木枠に障子ガラスがはめ込まれた引き戸の玄関がガラッと開いた。

「こんにちは。じいちゃんお邪魔してるでしょ?」
 
 大正ロマンのアンティークな着物の上に赤い半纏を羽織った三十台前半と思われる女性が夏雄を出迎えた。
 家同様にかなりレトロな格好だ。

「久しぶりじゃないの、夏雄ちゃん。ちょっと男前になったんじゃない?」
「男前?」
「最近じゃ、イケメンって言うんだったかしら?」
「なにそれ」
 
 顔関係、あまり褒められたことがない。
 幼い頃は、可愛いという言葉も浴びていた気もするが、この年で女性から顔を褒められるのは、凄く恥ずかしかった。
 それが、よく知る身内同然の人であっても、やはり恥ずかしい。

「あらら、照れちゃって、可愛いわね。喰ってしまいたくなるじゃない」
「ミツさんが言うと、洒落にならないよ。ミツさんも相変わらず綺麗だね」
「そりゃ、そうよ。化けてるんだから」
「化粧で、っていう意味にしといてあげる。これ、ばあちゃんから」
 
 預かった風呂敷包みを着物の女性――ミツに渡した。

「おはぎかしら?」
「やっぱ、ばれちゃうんだ」
「そりゃ、ね。いいから上がりなさいよ」
「お邪魔します」 
 
 夏雄が靴を脱ぐ。
 それから靴を揃える。
 その姿をミツがじっと観察していた。

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